ばたのごちゃまぜ畑

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怪奇⁈大谷吉継の墓に行ったら狐につままれた?

岐阜県不破郡関ヶ原町に大谷吉継公のお墓があります。

大谷吉継といったら『義の武将』として戦国武将の人気ランキングでも上位に上がるほどの有名な武将ですが、その大谷吉継公のお墓に行ったときに摩訶不思議な体験をしました。

大谷吉継公が眠る山の南側を東海道本線が走っています。その線路を越えた場所に『大谷吉継陣跡 駐車場』があるので、そこに車を停めてテクテクと歩いて行きました。

その日はとても天気が良く、“お墓参り日和” ?でした。線路を越え若宮八幡神社の脇を登って細い道を奥へと進んで行きます。

熊が出没するニュースを知っていたのでiPhoneから大音量で音を流しながら森の中を歩いて行きました。

しばらく行くと途中 “大谷吉継陣跡” があり、石碑と立て看板だけで、陣跡にしては小ぢんまりとした場所でした。

多少風があれば涼しいのですが、あいにく風もなく、もうこの時点で汗ダクです。

まだまだ大谷吉継公のお墓はこの奥にあるようで、お墓を目指してトボトボと細い道を歩いていると、ほんの少し開けた場所があり『あれが大谷吉継公のお墓かな?』と思いふと左手の方を見てみると、今歩いている道とは別の道が左奥から来て墓前まで続いているようでした。

『この道は、どこからきたのだろう?』と思いながらも、お墓に到着!“ん?”…すると突然、雨が降り始めたのです。

空を見上げるとどこにも雨雲などなく青空が見えるのにです。

『なんだ、この雨は?空は晴れてるのに雨が風に乗ってきたのかな?』と思いつつ、大谷吉継公の墓前まで行き手を合わせ『すみません、写真、動画を撮らせてください』とお断りをした途端、不思議なことに先程まで降っていた雨もやんだのです。


「なに?なに?なに?」

 

もう頭の中は “?” でいっぱいでしたが、大谷吉継公のお墓と、その横に大谷吉継公を介錯したといわれる湯浅五助のお墓も並んでいたので写真を撮らせていただきました。墓の周りは独特の雰囲気があります。…このあと、もう一つ見たい場所があるのでお墓を後にしました。

 

私は来た道をトボトボ戻っていると

『ん?あれ?さっき来た道はここだっけ?』

 

しかし、行きに途中から左手より現れた道ではないので、この道で間違いないはず『ん~でも違うような…』すると、太い折れた木の枝が道をふさぐように倒れていました。『来るときは、こんな枝あったかな?』『この暑さで頭もやられたか?』倒れた木の枝をまたいで少し歩いて振り向きました。『いや!絶対に木の枝はなかった…』

やっぱりお墓まで戻ろう。戻ったら何かがわかるはず…と自分に言い聞かせ、またお墓まで戻り周りを見渡し異変に気づいたのです。

 

「え?ナニコレ?道が3本もある!」

 

もう頭の中はメダパニです!お墓から帰ろうとしたときは道が2本だったはずが、今は3本ある?どういうこと?

たった今、間違えに気づいて戻って来た道と、行く途中で左手より現れた道と…もう1本の道?

もしかして『この道が初めに来て通った道なのか?』まだメダパニがかかった状態のまま、その道を進むことにしました。

しばらく進んで『ん?ん~ん!ココだココだ!この道だ!』ここでやっとメダパニが解けた瞬間でした。

その後は小早川秀秋が陣を敷いた松尾山眺望地まで行き堪能した後、無事に駐車場に着くことができました。

あの雨といい、迷った道といい、いったいなんだったのだろう…

晴れているのに雨が降ることを全国的に『天気雨』と言うそうですが、西日本では『狐の嫁入り』とも言います。私が体験した摩訶不思議な出来事は狐の仕業で『狐につままれた』のかもしれません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます♪